伊勢本街道を歩く

                                                          

 今年1月2年半かけて中山道を歩き終えた。京都三条大橋から中山道を歩き東京日本橋に到達すれば、次は日本橋から東海道を京都三条大橋まで歩きたいとかねがね考えていた。だが平成25年は「式年遷宮」の年にもあたるので、東海道を歩く前に伊勢本街道を歩くことになった。
 
 平成25年5月5日に、同好の士、井野善史氏と大阪「玉造神社」から歩き始め、ほぼ1年半後の平成26年12月13日、最後の行程「外宮~内宮}だけは私ひとりであったが、全て日帰りで延べ13回かけて無事内宮に到達した。
「初瀬街道」もしくわ「あお越え道」と呼ばれる街道を選べば鉄道とのアクセスも楽だったのだが、あくまでも「本街道」に拘ったため、途中区間はバスのお世話になった。
ということでー
 第6日目の「高井」までは、電車便でスタート地点まで行ったが、第7回目の「高井~山粕」から第11回目の「柿野~札の辻」の5回は、鉄道へのアクセスの関係で、バスツアーを利用せざるをえなかった。

そして最後の「外宮~内宮」は、同行していた井野氏が、既に熊野古道歩行時に経験しているということと、この時期、単独海外旅行中になるので、私一人でまとめの最終区間を踏破した。
以下13回にわたり「伊勢本街道踏破記」を綴ります。

 

伊勢街道第1 「大阪玉造稲荷神社~枚岡神社」 
                                2555 晴れ    

 所要時間 約6時間    歩数 26719

 

平成2555日、伊勢街道のスタートはJR森ノ宮駅西にある「玉造稲荷神社」からスタートした。
   時は午前105分。街道歩きのマニアである井野善史氏と同行。

「伊勢参宮本街道の旅」の石碑を見る。近松門左衛門「曽根崎心中」の記念石碑も  ある。

南に歩いてJR玉造駅のガード下をくぐり、大通りを東へ歩き、少し先の商店街の細い道へ右斜めに入る。
 「暗越奈良街道」の石碑を見る。市内のど真ん中ではあるが、旧街道らしい雰囲気が既に表われている 

二差路を左に曲がる。「玉津1」の信号を越え、「玉津橋」を渡る。さらにまた「暗越奈良街道」の石碑が建っている。街道歩きの途次で表示板を見ると安心する。道を間違えてないことが確信できるからだ。

また自動車道(長堀通り)へ出るがそのまま南に渡る。渡ったところに、コンビニセブンイレブン。その横に堺屋太一さんの署名入りの黒い大理石風の石版がある。暗越奈良道の説明表示だ。

「菊の香に暗がり登る節句かな」と芭蕉の句が書かれている。ここでの表示は「椋嶺峠(くらがねとうげ)」となっている。 

また「鞍腰奈良街道」の石碑。今度は1mにも満たぬ背の低いもの。金属製の表示板があった。

  表示には、「旧奈良街道は、玉造より深江へと東成区をほぼ東西に通じている。この前の道路がその街道で、昔のおもかげをとどめている」。東成区役所の署名。裏側には、「← 50メートル 契沖史跡(この奥妙法寺境内)」と書かれている。

 次の目標目印は「熊野大神宮」。立ち寄って旅の無事を祈る。

小さな橋を渡る。このあたり細い川が多いようだが水はお世辞にも綺麗とはいえない。

さて、今日始めて道を間違えたようだ。

250mほどバックして街道に戻る。車道を斜め右に入るのが伊勢街道(奈良街道)だった。近年作られ車がひっきりなしに走る舗装道路を、斜めに突き切っているのが旧街道であるというケースが、中山道でもよく遭遇した経験がある。表現が逆になったが、本来はもともとあった旧街道に、近年舗装道路が斜めに造られたということだ。 

融通大念仏の石柱のあるお寺を通り過ぎる。

お腹が減ってきた。そろそろ何処かいい食べ処を見つけなければならない、と思っていた矢先、目の前に大きな提灯、「手打ち蕎麦 庵(いおり)」。クローズドな入口で入り辛らかったが、入って見て直ぐにわかった。「これはホンチャンの蕎麦屋さんだ」と。事実、美味しかった。

長堂1丁目の信号を過ぎると、「枚岡神社まで7km」の表示。「布施柳通」信号を越えれば、モニュメントがあった。「歴史の道・暗越え・旧奈良街道」と彫られた2m近い石柱に「弥々子」の歌、「春風に顔なでられて高井田を、暗がり越えて奈良の都へ」 

この辺りは道に迷いやすい。細い道、車通り、また細い道。陸橋を渡る。南から北へ。渡りきった所を右へ(東へ)向って歩く。ただ「さくら公園」を過ぎた辺りにまた「東大阪歴史の道」の表示があった。(道は違えていない)

その先にはまた東大阪市の署名入りの「新喜多新田と暗越奈良街道」の説明表示板。 

「御厨行者堂」を見て、「御厨」の信号の手前を左へ入る。小さな橋「新御厨北大橋(第二寝屋川)」を越える。また車通りへ。中央環状線のガードが見えてきた。「意岐部西」の信号を渡る。

「八剣神社」を過ぎ、菱江の交差点を少し北へ行ったところを斜め右に入る細い道が伊勢街道らしい。道の右手に「おかげ灯篭」、「もちの木地蔵尊」があった。わが家にも「もちの木」はあるが、もちの木はこんなに巨大になるのだろうか。


Ito Yokado」をみつけたので20分のコーヒブレークにした。 

英田農協前、花園ラグビー場西、を過ぎると英田公民館。「松原宿跡」の小さな石柱が建っているのを見る。松原宿景観保存会が平成248月に造ったと書かれている。昨年製の真新しい石柱だ。

国道を逸れて「みずはい橋」を渡り右にとる。橋の下の水は相変わらず汚い。行政さん、少し予算を割いていただき浄水に力を入れられたら如何でしょう。 

再び正面に国道が見える。どうやら外環状線らしい。

オーバーブリッジをわたると箱殿交差点に来た。この辺りで先日歩いた東高野街道と交差している。

ここから道は緩やかな上りになる。もう既に暗越峠が始まっているのだ。住宅街の坂道を東へ向って歩む。ここで歩数計に眼をやると24455歩になっていた。

突然目の前に鉄道線路。近鉄枚岡駅だ。 本日のウオーキングは此処までにした。

  駅前から枚岡神社への石段が険しい。




 

伊勢街道第2 「枚岡神社~南生駒」 25628() 晴れ                  

所要時間 時間 歩数 14799

郡津駅発(9:18)に乗る。今日は先日到着した近鉄枚岡駅前の「枚岡神社」がスタート地点だ。

そして伊勢街道きっての難所「暗峠」越えだ。過去に1度枚岡神社側から、2  度元山上駅側から登った経験があるが、西から東へのルートは登り傾斜が急 なのできつい。

登り始めて気が付いたが、今日はいつもより疲れを感じる。思えば中山道を歩き終わったのは今年1月だが、後半はフラットな道ばかりだった。思えば上り坂を歩いたのは昨年518日の碓氷峠以来だ。一年前ということになる。その間歩く機会は多く、歩いた距離は長かったが登り坂というのはしばらく経験していなかった。

さて取敢えずは目の前の「枚岡神社」に参拝。

登り経路は2ルートあると思うが急峻だが舗装してある左()側の道を選ぶ。

「なで鹿(神鹿)」を見ながら「刷毛ブラシ顕彰  碑」を見る。大阪生まれの私だが刷毛ブラ シが大阪の地場産業云々は余り納得できない なんだか無理にこじつけたような気もする。

 「椋ヶ根橋休憩所」「山火事に注意」の看板に引き続いて「サル出没注意」の表示看板。中山道の 熊出没注意の看板を思い出す。まだ新しい「暗峠奈良街道」の看板。「 長持石前」の地名表示がその文字の下に見える。「新羅人の歌」の表題 で松尾芭蕉の句碑がある。

草むらの中に「一般国道308号 八土-74」 と書かれた看板。赤い橋を渡る。「N18豊 浦橋北」に至る。N19は「額田東口」だ。 大きな石碑には「大社之橋 契行場」と彫 られている。「観音寺」の石碑、「不動明王」の看板、「お玉大神」と天然石に彫られている。
「右くらがり峠 左髪切山慈光寺」は縦長の石碑。慈光寺は河内西国
24番札所ということだ。ホトトギスの名所とも書かれている。「ワカザサの路」の矢印、

「弘法の水と笠塔婆」、中山道や東高野街道にも弘法と水の関係した水場 はよくお目にかかる。いずれにせよこの街道には道路標示以外にも様々 な表示看板が立て続けに現れる。

「八土ー156」の看板を過ぎると峠の頂上は目前だ。

あじさいの花が美しい。「右矢田山二里」の石碑あり。

峠の頂上にある茶店には何組かの人々が一休みしている。私たちもここでまとまった休憩を取った。このお店の暖簾の文字は「峠茶屋 すえひろ」と読める。茶屋の前は暗峠の名所で二百メートルほどの石畳道。

この茶店を過ぎて下り坂に差し掛かる辺りにもう一軒「友遊由」という新しいお店があった。その近くの道際の堤に立っている「本陣跡」の小さな石碑。こんな場所で何の本陣があったのだろう。この辺りからの下り道は舗装道路だ。奈良の村落が一目で見渡せる。山あいの段々畑が美しい。その前に立看板も見える。「往馬大社 御小麦畑」。

やっと今日の目的地「南生駒駅」の看板が目に入った。「LuckyGarden300m」の文字も見える。「藤尾町 石造阿弥陀如来立像」の前に地元有線放送局の取材カメラマンが取材中だった。

下り坂も終わりに近くなったところに「座辺師友」と暖簾に書かれたお 店があった。何屋さんなのだろう。名前からだけでは何を商っているお 店か判断しがたい。結果は食べもの屋さんだった。店先に姿を現した人  に「わかるようにされたほうが良いのでは…」と差し出がましい一言 生駒南小学校の前を過ぎると「小瀬町西」の信号。ここは国道168号線 のようだ。この信号を過ぎると左手に近鉄「南生駒駅」。

今日の街道歩きは予定通りここで終了。

 




          伊勢街道第3 「南生駒~奈良」 251023()                                          終日雨 
                        所要時間  時間  歩数 27082
9:08郡津発に乗る。今日は朝から雨。しかし小雨だったのと今日を外せばまた次の予定がずっと先になるのであえて強行することにした。
幸いにも雨はそれほど酷くはなかった。が結果的には終日降っていて殆ど止むことはなかった。

 京橋、鶴橋周りで生駒駅で生駒線に乗り換え「南生駒駅」で降りる。

歩き出してすぐに酒屋が目に留まる。「和を以て貴ぶために菊の酒」阿波野青敏という人の一句が石碑に彫られている。この街道を歩くにあたって私が参考にしたある記述に、「早速ここで一杯」という記述があった。その人は余程酒好きだったのだろう。この酒屋でお酒を飲んだあと、よくその後も歩いて行けたものだ。下戸の私にはとても無理だ。「大瀬ふれあい公園」を過ぎる。
「おいせまいり(伊勢本街道保存会)」の将棋駒型の小さな標識が木の枝に吊ってある。以後街道の各所でこの札にお目にかかる。中山道の時も同様であったがこの種の表示は旅人にとっては実に頼りになる。

「このうえすぐ万葉歌碑」の縦長の石碑には、小さい字で「右砂茶屋・左くらがり峠」と添え書き文字が彫り込まれている。奈良交通「小瀬」の駅表示看板。

「矢田山遊びの森」の鮮明な文字で書かれた表示。特別養護老人ホーム「やすらぎの杜」は大きな表示ボード。

道路表示看板で見た「足湯」があった。女性3人を含め5人が休んでいた。年配らしき男性が「この先の坂を登ればあとは下り一方ですよ」と教えてくれた。先ほど書いた「おいせまいり」の小さな看板がこの足湯のそばの柵にも括り付けてあった。

少し登っていけば方向表示板があって、その近くには「ごちゅうい!この付近イノシシがでます」という物騒な看板。中山道の「熊に注意」の看板を連想した。小さな峠、小さな集落、を歩いていく。「弘法大師堂」の表示石碑があった。少し寄り道になるが右に逸れて大師堂に行く。再び歩き出すと少し開けた場所に出た。「郡山警察犬訓練所」と書かれた2m以上の縦長看板。またあった!「イノシシが出ます」。「大和郡山西ノ京奈良方面」の表示のほうに向かって歩く。二つ石碑が並んで立っている。左の小さい方には「南矢田山すぐ」と読める。「県立矢田自然公園」の表示を過ぎて「追分神社」の鳥居が道際に立つ。

「追分本陣村井家住宅」「ここが大和郡山との分岐点である」ため「追分の本陣」と呼ばれると説明板には書かれてある。すぐそばに「左大坂」と彫られた縦長の石碑。坂を下ってすぐ左に曲がれば第2阪奈道路をくぐる。実はここで真っ直ぐ行ってしまい、間違いに気づいて300mほど戻ってきた。

村落を抜けると説明書にも書いてあった「常夜灯」のある四つ辻だ。説明書氏は左に曲がって道を間違えたと書いていたが、我々は真っ直ぐ行く。「赤膚山昭山」「赤膚焼窯元 大塩昭山」は窯元の名前。池のそばに沿って行けば左に、「伏見南小学校・幼稚園」を見て過ぎる。「歴史の道 垂仁天皇陵・菅原神社」の石碑に続いて「安康天皇陵」と書かれた石碑も。

ところでずっと先程からうどん屋さんを探していた。もう午後1時半になっている。腹が減ったのも限界に近い。この雨空ではどこかの店にでも入らなければ戸外で握り飯というわけにもいかない。コンビニで買って持っている握り飯には温かいうどんが最高の取り合わせだ。「尼ヶ辻駅」の踏切を越えれば「あった!」、左前方に決してきれいだとは言えないうどん屋さん。屋号は何だっけ?多分表示がなかったように思う。誰もお客はいない。おかみさんは我々とほぼ変わりない昭和13年生まれだという割にはとても若く見える。


「石造り地蔵菩薩立像」の祠に入れられた地蔵さんは
2m以上ある。

もう奈良市内の中心に入っているようだ。しばらく歩けばJR奈良駅に出た。三条通という商店街はJR奈良駅から近鉄奈良駅のほうに真っ直ぐ通っている。

数百メートル歩けば右前方に、何故かいつもと違って一匹の亀の姿も見えない「猿沢池」に到着した。 

            



               
伊勢街道第4日 「奈良~天理」 25・12・1(日)                    

    近鉄奈良駅を上がったところで7人の小学生が、恵まれない世界の子供たちへの募金運動をしていた。 心ばかりの募金をして今日のスタート地点である猿沢の池へ向かう。   先日ここに来た時、「猿沢の池の亀はどこへ行ったのだろう」という話をした。今日も亀の姿は一匹も見えない。 (実はこの日の何日かのちの朝日新聞に「外来種の侵入で日本亀が生息を脅かされている。外来亀の処置を  検討中」と言った記事が出ていた。亀が亀を食う訳ではないだろうが外来亀の食欲が強くて日本亀の食い分が 少なくなるようだ。

 池の西側、「柿の葉寿司の平宗」の前の細い道を南に下る。

 「上ツ道 伊勢街道」と書かれた行燈が見える。「奈良の落語館」スぺシャルゲスト桂文福、月亭方生などとある 「元興寺」の石柱には「史蹟元興寺塔址」。
 しばらく行くと「海造稲荷神社」と書かれたお祭り提灯が架かっている。
 「大安寺」の標識の次には「帯解寺400m」の標識。「地蔵院橋」。
 この年にして初めての「孫」が、今、長男健史の嫁「祐子」のお腹にいる。高齢出産なので心配だ。人間勝手なも のでこんな時「安産祈願」のお寺にやって来ると一入念入りにお参りする。安産祈願のお守りを頂く。(この日の  20日のちに無事初孫(男)誕生。名は「恒(ごう)」。
 この帯解寺に向かう直前に大きな銀杏の木あり。この紅葉が見事だったのが強く私の印象に残っている。

先回の南生駒~奈良の街道筋でも食事する場所がなくて困ったが、今日のルートもなかなか食事場所がない。帯解寺からしばらく歩いたところで「蔵八」と書かれた大きな文字が目に入った。お好み焼きと看板にはあった。近くの家の軒下の表示看板には「天理市蔵之庄町」と書かれている。この店の名前は地名からとったものだった。

稲荷神社、楢大明神社を過ぎる。この神社の境内の建物には丸い現代的な柱時計の手前には、金五百五十円の寄付金額が書かれた大きな2mほどの石碑。このミスマッチは微笑ましい。
この辺りは物の本によれば「馬出の街並み」と呼ばれているそうだ。
目の前に名阪道路の高架が表れた。
この高架を潜った辺りで道を間違えた。
右に曲がるべきをまっすぐ行ってしまった。

ここからしばらく歩くと何度か来たことのある天理駅前の商店街へやってきた。我々がこの商店街に入った地点は、JR天理駅から商店街に入って300mぐらいのあたりであろうか

もう時間は夕暮れ近くになっていた。今日は何かの記念日なのだろうか。JR天理駅前の広場では華やかなイベントが行われていた。
切符を買ってプラットフォームに上がった時には辺りはもう暗くなっていてイベントを盛り上げるイルミネイションは、くっきりと映える時間帯になっていた。

今日の伊勢街道歩きはこの天理駅まで。次回のスタート地点はここ天理駅からだ。



         伊勢街道第5日 「天理~三輪」 26・2・22(土)


 本年第一回目の
 伊勢街道。

 10時23分JR天理駅に到着。今日は冬に相応しい天候だ。
この時期らしい温度と、この時期らしい空模様だ。

 天理駅前の商店街を200m足らず東へ歩き右(南)へ曲がる。右前方に果物屋[のりむら」の看板が目に入る。間違いない。この通りは伊勢街道だ!
ある紀行記で読んで頭に残っていた目印だ。ながい道のりの街道を歩く時、最初のジャンクションで道を間違えると悲劇だ。最初を間違えてしまうとリカバリーに架かるエネルギーは大変なものだ。
 
 「丹波市町」と云う表示が信号機にくっ付いている。

 「市座神社」。旅の安全を祈願してお参りしようと言って拝殿に進む。神社を過ぎると「天理丹波市郵便局」。中山道を歩いていた時は郵便局を見れば千円貯金をしていた。
ところでこの辺りの地名には「丹波」という文字がやけに眼につく。篠山のあの「丹波」と何か因縁があるのだろうか。

 次に見たのは道路の右側にあった風雨に晒された読みずらい鳥居の表示は「八坂権現」と辛うじて読み取れる。

 近くに「芭蕉の句碑」があった。
「草臥れて宿かる比(ころ)や藤の花」。「笈の小文」に収められている句だという。「笈の小文」は弟子の杜国との6ヶ月間の旅だった。

道端のお地蔵さんを横目に見ながら先へ進む。「大和神社500m」「左へ行けば「山の辺の道800m」の表示。

「大和神社」は(おおやまとじんじゃ)と読むそうだ。大神神社など、この地は「大(おお)」と呼ぶことがお決まりらしい。

 「釜口山長岳寺従是云々」のやや左に傾いた石碑の後ろに「五智堂」があった。
「長岳寺五智堂」は重要文化財。明治41年4月22日と書かれている。「真面目堂」「笠塔」の別名もあるそうだ。
地図や紀行説明書の中で何度もお目にかかっているのでどんな所だろうか興味を持っていた。はっきり云って少し落胆した。何の目的で建てられたのか説明板を読んでもあまりはっきりしない。
「黒塚古墳(500m)」の表示が表われた。JR柳本駅から山側へ少し歩いた所にあるこの古墳には既に数回は来ている。
付近に食べもの屋さんが見当たらないので道端にあったベンチでコンビニで買ってきたおにぎりを食べた。
この辺りへ来ればかならず「ニュウ麺」のお店があるだろう。

「伊射奈岐神社」の石碑は2mを越えている。「これ、読み方はやはりイザナギと読むんだろうね」。連れのIさんが言う。
「箸墓」「纏向古墳群」の大きな説明板の横を通ったが立ち寄ることはしなかった。
「ホケノ山古墳」まで0,4㎞の表示も見た。



 「大三輪中学校」の正門前を過ぎると民家の屋根越しに大きな鳥居が見えてきた。あちこちで見かける「歴史街道」の案内板には「ここは桜井市三輪です」と書かれている。

 あった!ニュウ麺処が。「味処万葉」と書かれた看板が正面入り口の真上に架かっている
 お客は我々二人だけ。既に昼時を大きく過ぎていたため空いていた。実はここで想定外の時間を過ごしてしまうことになる。おかみさんと、ご主人も2階から下りてこられて、世もやま話に花が咲いた。地図や資料も持ってこられて丁寧に教えてもらった。予定では徒歩40分ぐらいの次の「朝倉駅」まで歩いてから電車で帰ろうと思っていたが隣のお店の「翡翠屋」さんオーナまで話に入ってこられ、その上「冥途の飛脚」の主人公「梅川と忠兵衛」の石碑があると云って現場まで案内してもらった。実は先月23日文楽座でこの出し物を観ていたので一入興味があった。
                   またこの物語に「新口村の巻」などとして登場する「新口村」(にのくちむら)がこの近くにあ                    るのだということを知って驚いた

旅は道ずれ世は情け、街道歩きにはこんな出会いがある。先を急ぐ必要はない。幸いにもノルマはない。先を急ぐ旅でもない。中山道を歩き終わっての反省はもう少し記念館やメモリアルゾーンに立ち寄って来るべきであった、ということだった。
とにかく今日の予定は此処まで。JR三輪駅から帰途の電車に乗る。
この辺り、電車は1時間に一本。これは計算外だった。